一通り考えて結論が出た。
『1、創作の設定との混同
2、対象の不在
により生じた性志向の軽視』に対する違和感なのではないか。
1、創作の設定との混同
先の発言者は、いずれも腐女子=ボーイズラブ/BLを好む人たちだ。
つまり、他者よりも同性愛に興味関心があるはずなのだ。
彼女らは何に萌えているのか、それは「同性愛間の禁じられた恋愛関係」とくくることが出来る。
それは漫画やアニメ、いわゆる二次元文化にとどまらず、歌手や芸人に同級生、最近では
音楽コンポーザーにさえ見出される。彼女らにとって、「男二人がいれば受け攻めがある」
というのは当を得ているのだ。
それはそれでいい。
いいのだ。
彼女らの妄想の中で済んでいれば。
2、対象の不在
妄想すること、創作することは何も悪くない。
その発言が、相手に聞こえない限り。
セクシャリティを構築する要因はさまざまだ。家庭環境、兄弟友人、触れる文化、学校教育、男女比率。
そしてなにより、本人の持つもの。それらが絡み合って、初めてセクシャリティとして成立する。
つまり、人はそれぞれセクシャリティを持ち、それに準じたパートナーを見つけて/見つけられずに、
日常を過ごしていくことになる。おそらく、恋愛と呼ばれる状況である。
そして現代社会において、同性愛者はおよそ5%程度存在する。誤差を多く見積もっても10%。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B
つまり、理論上、10人集まれば1人2人程度の同性愛者がいることになる。
そしてこれは、その少数派に対する差別が生じるということを意味する。少数派の恐怖である。
その差別は、転じて少数派をいじるネタになる。特にネットにおいて、ホモネタはそこら中で見る。
その差別は、転じて少数派を排斥する材料になる。同性愛者が冷遇されるのは現代日本に限らない話だ。
この二つが合わさり、冒頭の発言に感じた嫌悪感につながる。受け手のセクシャリティを尊重しない、自分の関心を満たすための発言。
彼女らはおそらく、ただその事実を喜んだのだろう。「自分の妄想の実現につながる」と。事実でありながら、それはどこまでも自分本位だ。自分の解釈を述べるならただ痛い発言をする人として見るだけで済む。○○と××のセクシャリティを元に発言するなら、それはただの余計なお世話である。
だれがセクマイであろうと、それはその人の問題である。他人がいじくるべきことではない。
追記
これを続けると異性愛者を批判できる。またこんどやろう。
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